WINGの歴史

WINGは大分県の武田氏が経営するコンピュータゲーム制作会社、というのは今更言うま でもないとして、それ以前や以後、また同時に行っていた他の業務はあまり知られてい ない。ファンクラブでも詳細は掴んでいないのだが、雑誌記事やタケダ企画からの情報 を元に、その歴史について簡単に述べてみたい。

なおWING以前の情報については、その殆どをMSX Magazine (ASCII) 1986年9月号掲載の 「MSX SOFT CLOSE UP」に頼っている。

パソコンショップRAM

まず確かなのは、WINGはMSXでテープベースのゲームを作っていたのだが、この開発が WINGが経営するパソコンショップ「RAM」で行われていたということだ。というよりは、 RAMのソフト開発チームの名前がWINGだったと言った方がいいのかも知れない。RAMは大 分でソフトを中心に販売を行っていたMSXの専門店で、当初はアセンブラなどの開発ソフ トや、自社制作の日記付家計簿、住所録などのビジネス系ソフトを中心に一本千円程度 で売っていたようだ。

そして大阪を中心とした『モリコ脅迫事件』の全国販売を機に「SOFT-STUDIO WING」は 誕生する。これらのソフトの制作は常連さん達との和やかな雰囲気の中、ショップ内で 制作されていたそうだ。初期の作品の軽い冗談を交えたノリからは、その当時の空気を 感じることが出来るだろう。

「パソコンショップRAM内・SOFT-STUDIO WING」は『輪廻転生編』まで続いたが、『日曜 日に宇宙人が…?』以降、大分市中央町から金池町に移転。RAMではない、「SOFT- STUDIO WING」となった。88版MIRRORS発売後、別府に移転するが、知っての通り『コン ストラクターズグランプリ』まではWINGであり続けた。

WING前後

ではWINGになる以前、つまりRAM以前、武田氏は何をしていたのだろうか。1960年代、治 輝氏は演歌風フォークソングを演奏するバンドマンだった。そして、そのバンドは名称 を『WING』といった。言うなればソフトスタジオWINGは、フォークバンドWI NGの後身だったのだ。WINGは大分県のラジオ番組にも出演する人気グループで、 『灰色の夢』というタイトルのヒット曲も出していた。

その後はラジコンなどを扱った模型店を始め、大分模型サークルの会長などもやってい た。治輝氏はかなりの戦闘機好きだそうなので、模型屋の方は恐らくそっち関係が中心 だったと思われる。それから模型店にかわって喫茶店「WING」を開店。そこで夜遅 くまでスペースインベーダーやギャラクシアンに熱中し、これがコンピュータ、及びゲ ームとの出会いとなった。閉店後、明かりを落とした真っ暗な店からゲームの爆音が聞 こえてくる様は、かなり不気味なモノがあったそうだ。

喫茶店WINGのマッチ(山平氏提供)

裏側が模型店の宣伝になっているところから考えると、実際は両方の経営が重なってい る時期があったのではないだろうか。また、模型店は二箇所にあったようだ。

注:決して写真中の住所や電話番号に問い合わせをしないで下さい

コンストラクターズグランプリ以降、WINGは全くソフトを発売しなくなった。ファンの 間では色々な説がささやかれたが、僅かな希望を持ちつつも、殆どの人間は再びWINGの ゲームをプレイすることは出来ないだろうと、半ば絶望していた。実際のところは、 WINGはコンストラクターズグランプリ発売後に解散し、CM制作会社になっていたらしい。 どのようなCMを作ったのかは全く不明だが、このCM制作は2年程続いたそうだ。

再び

PC-Engineのソフト発売予定一覧に「真・怨霊戦記」というタイトルが加わった時、多く の人が驚愕しただろう。発売する会社名が「フジコム」となっていたせいで、ただの別 会社による移植だとする向きもあったが、これこそがWINGが再びゲームの制作を始める 第一歩だったのだ。武田氏はフジコムの誘いで東京に「Wing Softstudio」という新会社 を設立し、Windows95でもこのタイトルを発売した。しかし色々とトラブルがあり、制作 中だった「千年塚の呪い」も発売できず、残念なことにまたしても解散することになっ た。

しかしそれほど時間をおかず「タケダ企画」として復活し、Windowsでゲームを発売した。 現在は大分に戻って「スタジオWING」や「e-wing」ブランドで昔ながらのオカルティッ クなゲームを発売。現在は「スタジオWING」として公式サイトを開設し、今に至ってい る。今後この会社が長く存続し、このページに良くない項目が付け加わらないことを祈っ ている。

ところで「タケダ企画」という社名だが、会員の方が魔界復活のマニュアルにこのよう な判子が押されているのを発見した。判子はかすれているので少々分かりづらいが、ど うも「有限会社タケダ企画」と書いてあるようだ。一体これはどういうことだろう。想 像の域を出ないが、この頃は「ソフトスタジオWING」というのはチーム名で、当時 から社名は「タケダ企画」だったというのが妥当な線だろうか(情報求む)。 ちなみにこの判子、対面に朱肉が付いてしまっていたり、パッケージ毎に押している位 置が違うことから、印刷ではなくスタッフの手押しだろうと思われる。それにしても何 故この作品のマニュアルにだけ判子が押されているのだろう、全く分からない。

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